中四駅伝 今昔物語

第1回  高祖研一さん
         (平成13年度卒)
〜プロフィール〜
 中四駅伝は2回生時(1区区間17位)と3回生時(6区区間10位、総合10位)に出場。10000mの大学ベストは32'38“21。大阪出身。
 前の×5中長距離ブロック長。 
2005918()駅伝カーニバルin万博記念公園にて
上段左から早田先輩、堀内先輩、高祖、下段中山根



駅伝は、個人種目の色が強い陸上競技において、団体種目であることを強く感じる事が出来る種目です。そんな駅伝の中でも、大学駅伝というのは、特別に大きな盛り上がりを見せます。私にとって中四駅伝は、「高知大学」の名前を背負って走ることを強く感じることが出来たものでした。

 

私が入学して1年目、当時の先輩方から「高知大学は過去に中四駅伝で優勝した事がある数少ない大学や。その偉大な名前を背負っている事を忘れるな!」と日々聞かされていました。そんな先輩方の行動から、駅伝というものが団体競技だということ、先輩方の駅伝にかける強い思いを感じていました。当時私は付き添いでしたが、こんな伝統あるチームの何か役に立ちたいと強く感じていたことを覚えています。

2年目は駅伝メンバーとして選ばれましたが、1区で不本意な走り(最下位から2番目)をしてしまい、チームに役立つことはできず、迷惑をかけました。3年目はアンカーでした。自分としてはまずまずの走りで、チームとしてもメンバー全員が自分の力を出し切り、久し振りに10位入賞を果たせました。みんなで一つの結果を喜び合えることが出来、大変感激した事を覚えています。

 

大学を卒業はしましたが、今年の9月に、その当時熱く高知大学駅伝チームを引っ張ってきた先輩方と、大阪で市民駅伝に参加しました。久し振りに大学時代の話で盛り上がり、とても楽しいひとときでした。私は現在、社会人4年目ですが、大学時代に駅伝競技に取り組んだ事を今でも誇りに思って、仕事をしています。あそこまで一つの事にみんなで熱く取り組めた、みんなでやり遂げたということは、これからの人生においてもそうないことだと思います。大学の名前を背負って走る事、そしてここまで真剣に陸上競技に取り組めることというのは、まさに今大学時代を突き進んでいる皆さんにしか出来ないことです。「高知大学」という伝統のあるチームの名前を背負って走れる事を誇りに思い、走り抜けてください。 


お忙しい中、熱いコメントありがとうございました。高祖さんとの思い出は、初調整合宿のとき、一人でポツンとしてたら声をかけてくれたこと・調整合宿解散から数時間後、スパーでできあがった高祖先輩とY先輩に出くわし、初めて見るできあがった学生の姿に母親共々衝撃を受けたこと・ある寒い日にペーランした後一緒にジョグってくださったこと・追いコンで恋愛について(?)語ったこと・その後先輩方に混じって高祖邸にオジャマしたこと・そしてやっぱり恋愛トークを聞けたこと などです。3コ上であまり話す機会もなかったので、話ができたときはすごく嬉しかったのを覚えています。

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